戦後、復興の中から生まれた幼児教育、レッジョ・エミリア・アプローチ
戦後の話はおばあちゃん世代から聞いたり、また学校の行事で戦争の傷跡が残るところに行った時、かたりべの方々から壮絶な経験をお聞きしたことがあります。
でもそれだけで、実際に辛い思いをしたことも大切な人を奪われたこともありません。
どの国でも戦争に関わった国は、それぞれがつらい経験をし、戦後を味わってきたのですが、戦後、復興の中で幼児教育に力を注いだ方が作った教育法、レッジョ・エミリア・アプローチがあります。
第二次世界大戦後、1946年に北イタリアの郊外、ヴィラ・チェラという村に自分たちの手で幼児学校を設立しようということから始まった活動でした。
戦後から始まった幼児学校設立の運動はイタリア全土に広がった
1946年、北イタリアの小さい村から始まったこの幼児学校を作ろうという運動はやがて実を結び、1963年になってようやくイタリア初、公立幼児学校として実現します。
レッジョ・エミリアで誕生したこの学校がその後各地に広がりを見せて、とうとうイタリア全土に公立の幼児学校が広まるほどになったのです。
1990年代にはアメリカ版ニューズウィークに取り上げられ、教育界でも非常に高い評価を受けました。
現代では幼児教育が高く注目される中、世界各国でもこの魅力ある幼児教育に注目が集まり、レッジョ・エミリア・アプローチはいま世界で行われる魅力的な教育法となっています。
立役者となった教育学者ローリス・マラグッツィ
このレッジョ・エミリア・アプローチの創立立役者となったのが教育学者のローリス・マラグッツィという方です。
当時、最先端の教育理路と発達理論を研究していたローリス・マラグッツィはレッジョ・エミリア市にあうように活かし、また実践する方法として誕生したのがレッジョ・エミリア・アプローチでした。
レッジョ・エミリア・アプローチの特徴的なアプローチ
レッジョ・エミリア・アプローチには自主性と協調性をはぐくむというプロジェクト活動があります。
一つのテーマを数カ月から1年かけて長期間、子ども保育士、保護者が一緒に掘り下げていきます。
このプロジェクト活動を重ねて行っていくと、自分で考えて行動できる自主性、他の人の意見を聞いて話を進める協調性が身に付くといわれています。
またレッジョ・エミリア・アプローチでは、美術専門家のアトリエリスタと、幼児教育専門家のペダゴジスタがいて、保育士ともに子どもの創造的活動を支援します。
子どもたちの学びの場、遊びの場、成長の場となるのは共同広場、ピアッツア、アトリエなどで、この空間の中、自分が好きなように遊び活動しているのです。
活動を活かすドキュメンテーションの高い魅力を感じる
レッジョ・エミリア・アプローチではプロジェクターやライトなどを効果的に利用していますが、子どもたちの様子や保育士との会話などをメモ、録音、動画、写真などに残し、誰もが診る事の出来るところに掲示するという取り組みも行っています。
地域の人も保護者も、誰でもこの活動を見ることができ、開かれた状態で子供をのびのび教育できるという魅力も持っています。